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John Kanaya’s Will

John Kanaya’s Will

Who’s John Kanaya?

Who’s
John Kanaya?

鬼怒川金谷ホテルの父は、
日本のホテル業界の
パイオニアでもある

ジョン・カナヤこと金谷鮮治は、日本最古のリゾートホテルとして名高い「日光金谷ホテル」の創業者、金谷善一郎の孫にあたります。

西洋式に靴のまま生活する家庭環境で育ち、一族のパイオニア精神を深く受け継いだ鮮治は、一流ホテルで修行を積んだのち、「鬼怒川温泉ホテル」の初代社長に就任。当時、鬼怒川温泉随一の規模を誇った同ホテルを発展させるとともに、鬼怒川エリアの発展にも寄与するほか、日本ホテル協会理事長などを歴任して、国内のホテルや観光業界の近代化に大きく貢献しました。

1931年(昭和6年) 鬼怒川温泉ホテルの当時の様子。

1931年(昭和6年)
鬼怒川温泉ホテルの当時の様子。

"和敬洋讃"の伝承と進化を経て、
唯一無二のリゾートホテルへ

1971年、鮮治は西洋レストラン「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」をオープンさせます。日本の食文化を西洋の料理やインテリア、サービスと融合させた同店は、彼の経営哲学"和敬洋讃"を具現化したものでした。

ガブリエル・ロワールのスカルプチャードグラス

鮮治のコレクションでもあった
ガブリエル・ロワールの
スカルプチャードグラスがふんだんに配された。
(西洋膳所ジョンカナヤ麻布)

西洋膳所ジョンカナヤ麻布

鮮治のグルマンとしての経験と知識が結集された
フレンチレストランは
当時の粋人達を虜にした。
(西洋膳所ジョンカナヤ麻布)

独自の美学を確立させた鮮治が目指したのは、和洋の良さを兼ね備えた一流の設備とサービス。その集大成として、1978年に「鬼怒川金谷ホテル」を開業しました。

ところが、鮮治は開館前年に病のため他界。完成を見ることは叶いませんでしたが、そのスピリットは今日の「鬼怒川金谷ホテル」に確かに継承されています。空間や料理だけでなく、鮮治のトレードマークでもあったシガーとショコラといったスタイルまで、お客様へのおもてなしのひとつとなっているのです。

私たちはこれからも金谷鮮治の教えを守り抜き、時代に合わせて改良を重ねることで、別荘のくつろぎとホテルの洗練された空間や利便性が共存する、唯一無二のリゾートホテルを目指していきます。

ダイニング John Kanaya

現在の「ダイニング John Kanaya」のエントランス。
当時レストランで使用されていた
スカルプチャードグラスがお客様をお迎えしています。

スイーツワゴン

ジョンが愛した珠玉のお菓子は、
スイーツワゴンとして夕食後に味わえます。

プロフィール

1910年 (明治43年)
金谷ホテル創業者 金谷善一郎の孫として、日光金谷ホテルで誕生
1934年 (昭和9年)
立教大学卒業後、箱根富士屋ホテル、帝国ホテルで修行
1953年 (昭和28年)
日光金谷ホテルから独立・設立された鬼怒川温泉ホテル株式会社の社長に就任
1957年 (昭和32年)
火災によりホテルを消失するも、翌年には再建を果たす
1960年 (昭和35年)
ホテルニュージャパンの設立に常務として携わり、
ホテル業界では初めて和風スタイルの導入を提言
1971年 (昭和46年)
西洋レストラン「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」をオープン
1977年 (昭和52年)
準備中だった鬼怒川金谷ホテルの開業を目前に他界

ジョンのスピリットは
今もなお息づき、進化していきます

「ひと夜限りのジョンカナヤ」

かつて「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」のシェフであったフレンチの坂井宏行シェフと
鬼怒川金谷ホテルのコラボレーションによる、宿泊付スペシャルディナーをお愉しみ頂きました