
詩人
石田瑞穂
年齢のせいもあってか、ここ数年は、夏の涼をもとめて海よりも山へ避暑にゆくことがおおい。
森を歩いていると、小暗い藪のなかにそこだけ白く眼をひく姿で姫百合、姥百合、山百合が咲いている。夏の山野で出逢う花のなかでも、百合はとくに華やかな部類だろう。それでいて派手とか賑やかというのではなく、楚々としてどこかひっそりとした神秘性を放っているのが、百合の好もしいところだ。
欧米で百合はマドンナ・リリーともよばれ、古来、貞淑・無垢・清純の象徴として愛されてきた。マドンナ(マリア)信仰ともかかわりが深く、受胎告知や聖母子の絵画や彫像に百合を配することは中世以来の常套である。
フランスはバスク地方の詩人フランシス・ジャムも「神さまが百合の花に教会の香りをお与えになったように」という詩行を遺したし、フィレンツェの老舗香水店サンタ・マリア・ノヴェッラがマリー・アントワネットのためにうみだした銘品「王妃の水」も百合の香であった。
ところが、日本の百合は異なる香で山野に咲く。
夏の野の繁みに咲ける姫百合の
知らえぬ恋は苦しきものぞ(大伴坂上郎女)
や「燈火の光に見ゆるさ百合花後(ゆり)も逢はむと思ひそめてき」(介内蔵伊美吉縄麻呂)など、万葉歌のなかの百合は〝秘め事〟の花。古歌を口遊みこのことに気がついたとき、じつはぴんとこなかった。ぼくにとって夏野に咲く姫百合は、逢瀬の秘め百合ではなく、どちらかといえば人目につく花だったから。
とある夏の休日。ぼくはニッコウキスゲから詩をさずかろうと霧降高原を逍遥していた。木蔭にすわると日中でもひんやりしていて、湿り土に咲くアスフォデルや雪下の白い花が眼に心に涼をはこんでくれた。真夏でも手を切るようにつめたい泉の水でスコッチを割り、昼食に蕗味噌と鶏のサンドウィッチを頬ばっていると、背後から主張のつよい、おもたく甘い香が漂った。
繁みの奥に百合が群生して、咲き乱れていたのである。
姿はみえないが、山気につよく香って、たしかにそこに咲くことをつたえる花…秘められし恋を告げる花。
どんな恋心も秘密からうまれる。その密かな想いは、日向で大輪の花を咲かせることもあれば、人知れぬ草蔭ではげしく咲くこともある。
どちらにしても…百合は忘れられない夏の香になった。

石田 瑞穂
詩人。代表詩集に『まどろみの島』(第63回H氏賞受賞)、『耳の笹舟』(第54回藤村記念歴程賞受賞)、新刊詩集に『Asian Dream』がある。左右社WEBで紀行文「詩への旅」を連載中。
「旅に遊ぶ心」は、旅を通じて日本の四季を感じ、旅を愉しむ大人の遊び心あるエッセイです。
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